記憶の断片
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ほぼ記憶の彼方にあった旧ソビエト連邦の旅を思い出してみる。シベリア鉄道で一緒だった日本人とか誰かに見てもらえることはほぼないだろうが。時期
1990年7月下旬〜1990年8月中旬。当時私は23歳。覚えていること
- それまでアメリカしか行ったことがなかったが、初めてついたアジアの街は北京だった。空港を出て市内に出るタクシーの中で白樺林を見ながら妙に親近感を覚えた。直感的にこの街に自分は何か縁があると思った。予想は的中して2004年から北京駐在になったわけだが。
- シベリア鉄道(北京〜モンゴルのルート)の食堂車は中国、モンゴルではご当地の食にありつけて悪くなかったのだが、ソビエトに入ると毎日ボルシチと酸っぱいパンばかりでいい加減いやになった。
- 当時のソ連は末期の時代で激しいインフレと物不足でどこの街に行っても買い物のために市民が行列をなしていた。
- たしかヤロスラブリでだったと思うが、街で行列に出くわしてロシア人に紛れて買ったヨーグルトと牛乳の中間の飲み物はうまかった。ちょっと舌がしびれる感じで絶妙だった。暑い国では飲むのはヤバそうだが。
- 外国人は特別な通貨を使うために激しく物価が安かった。また、外国人が泊まるホテルにはなぜかモノがあふれていて、たらふく食べてウォッカを飲んでも150円ぐらいしかかからなかった記憶がある。
- ロシア人には英語は通じなかった。モスクワでブルース好きの青年と話をした記憶がある。
- サンクトペテルブルクではエルミタージュ美術館を見た。ピカソの絵を独り占めしたり、すごく贅沢な空間だった。でも、なぜか道路には信号がなく、道路を渡るのは命がけだった。(2004-2008年に住んでいた中国よりもはるかに危険だった。)
2:モンゴル ウランバートル
3:ロシア イルクーツク
4:ロシア クラスノヤルスク地方 クラスノヤルスク
5:ロシア ケメロヴォ ノボクズネツク
6:ロシア ノヴォシビルスク ノボシビルスク
7:ロシア キーロフ ヤロスラブリ
8:ロシア モスクワ
9:ロシア サンクトペテルブルク
A:イギリス ロンドン
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