2012年8月25日土曜日

筒井康隆著「旅のラゴス」を読んだ。濃厚傑作一人旅小説。

 1986年刊行の筒井康隆のSF小説。文庫本で約220頁。主人公ラゴスの50年に渡る旅行記。
 初めて読んだが傑作であることは間違いない。文章が必要十分な情報のみから構成され、余計な説明や描画がない、とても濃厚な小説である。これまで読んできた小説が国語の教科書だとすれば、この小説は数学の論文と思わせるレベルのドライで引き締まった文章である。
 また、SF小説に分類されているが、サバイバル、冒険、旅、人類史、など様々な要素が詰まっている。強いて言うならば「旅に人生をかける男の小説」という感じか。一人旅の経験者には迷わず推薦できる。
 筒井康隆の小説をよく読んだのは高校生時代で最後に読んだ「パプリカ」以来の約20年ぶりだったが、こんな本に遅ればせながら出会えてラッキーだったと思う。他の本も読みなおして見よう。

2012年8月15日水曜日

アメリカ出張(1996/08-09)

記憶の断片

テーマ

はじめての海外出張でカリフォルニアに行った。アメリカ本土訪問は4度めだった。

時期

1996年8月15日頃〜9月5日頃。当時私は29歳。

覚えていること

  • 夏休みの帰省中いきなり当時の部長が実家に電話してきて「夏休み明けからシリコンバレーに研修に行ってもらう。」と連絡があった。目的はデータウェアハウス用のDBMS製品の研修に出て技術を習得し、日本で評価すること。
  • 私はデータウェアハウスについて全く知識がなかったので行きの飛行機の中で資料を読んでいる状態だった。「こんな状態でしかも英語の研修なんてわかるはずないのに、、」と思っていた。
  • 同行したのは、入社当時からの関西弁の上司と別部署の先輩の二人。関西弁の上司には滞在中に相当振り回された。というか、時差ボケに付き合わされて真夜中にテープレコーダー片手に研修内容の復習会をするのは正直やめて欲しかった。しかも、結局「昼間聞いてわからんことは夜聞いてもわからん!」とのことで、夜中にさみしがりやの上司の付き合いをしているだけであった。(この製品は評判が良くてその後にけっこう本格的なビジネスになったが。。)
  • 研修先の会社があったのは、ロスガトスという住宅地で、ロスガトスロッジというホテルに滞在した。研修先の赤レンガの建物までは毎朝徒歩で移動した。
  • 英語での研修は、約2週間ちょっと続いた。最初の2日ぐらいは営業向けのトレーニングで、とても早口の英語でついていけなかった。ただし、後半は技術者向けのトレーニングで英語がわからなくても、やっていることはあまり難しくなかった。(一番わからなかったのは、マシン実習の際に口頭で伝えられたアカウント名とパスワードだった。これを英語で尋ねるのが一苦労だった。情けない。)研修にはアメリカ東海岸やメキシコ、ヨーロッパなどいろいろな国の人が参加していたが、技術系の人は国籍に関係なく同じような内気な雰囲気を持っていることが印象的だった。
  • 研修会場には常時コーヒー、パン、クッキーなどがあり、いつでもつまんでも良いというのがとてもアメリカ的でカリフォルニア的だった。
  • 研修の合間に会社の研究所に立ち寄って同期の友達に会ったり、スタンフォード大学に行ったりして少し楽しいこともあった。
  • 小学校の時に訪問したロスアンゼルスの友達の家に電話してみたらお母さんが出て友達はサンディエゴの海軍で働いているとのことで、週末にサンディエゴに飛んだ。野球を見に行って、駐車場でバーベキューをした。さらに友達が仕事をしている時間帯に国境を超えてメキシコのティファナに数時間行ってみた。ティファナは物騒な雰囲気で、裏道を歩いていたら私の前にいた青年がいきなり若者二人にハガイジメにされた財布を抜かれていた。この時はさすがに驚いた。ティファナはアメリカの若者がハメを外しに行く場所(メキシコは20歳から酒が飲めるが、アメリカは21歳からという理由で)で観光するようなところではないと知ったのは後のことだった。
  • そういえば、タイガー・ウッズという天才ゴルファーがもうすぐプロデビューするとのことで話題になっていたのを思い出した。ドジャースにいた野茂投手も当時はホットな話題だった。
1:アメリカ合衆国 〒95030 カリフォルニア ロス・ガトス ロス・ガトス=サラトガ・ロード 50
2:アメリカ合衆国 カリフォルニア サンディエゴ
3:メキシコ バハ・カリフォルニア ティフアナ
4:アメリカ合衆国 〒95030 カリフォルニア ロス・ガトス ロス・ガトス=サラトガ・ロード 50

2012年8月14日火曜日

カリフォルニアの夏休み(1978/07-08)

記憶の断片

テーマ

小学3年生ごろアメリカから一人転校してきた。近所に住んでいたこともあり仲が良くなったが、その後けっこうすぐに帰国してしまった。5年生の時に夏休みの40日間ずっとアメリカにいた。

時期

1978年7月20日頃〜1978年8月30日頃。当時私は11歳。

覚えていること

  • 初めての海外で見るもの聞くこと全てが目新しいことばかりで、カリフォルニアのスカッとした気候は喘息持ちの私にもすぐに慣れることができた。気候的には私がこれまで体験した中で、カリフォルニアが1位、大連が2位だ。
  • 友達の家にいるときはほぼ毎日レドンドビーチで泳いでいた。毎日飽きもせず海で泳いだり、カニをつかまえたり、とにかく楽しかった。
  • 当時まだ日本で上映する前だった(かな?)スターウォーズをドライブインシアターで見て感激した。友達に通訳してもらっていたが、英語なんてわからなくても十分に楽しめた。
  • アメリカ特有のゴムのような菓子やはじけるキャンディーなどもの珍しいかったが、これが食べ物??という違和感の方が強かった。
  • YMCAのキャンプに4〜5日ぐらい参加したが、東洋人は僕達だけでまわりの子供達やリーダーから珍しがられた記憶がある。
  • 旅の途中で家族と合流してラスベガス・グランドキャニオンに行った。グランドキャニオンに行くときのセスナが怖かったこと!
  • なんかサンフランシスコで金門橋を見た記憶もある。フィッシャーマンズワーフで食事した。
  • ロサンゼルス在住の友達とはその後私が社会人になって1996年にサンディエゴで再開をはたした。お調子者の山下くん元気にしてるかな。

1:アメリカ合衆国 カリフォルニア ロサンゼルス
2:アメリカ合衆国 ネバダ ラスベガス
3:アメリカ合衆国 〒86023 アリゾナ Grand Canyon,, Village Loop Rd, Grand Canyon
National Park, グランド・キャニオン国立公園
4:アメリカ合衆国 カリフォルニア ロサンゼルス
5:アメリカ合衆国 ハワイ ホノルル

2012年8月12日日曜日

中国東南部の旅(1996/12-1997/01)

記憶の断片

テーマ

96年の年末にひょんなことから(当時の部長の命令で)2週間も休みを取らされた。急だったので、以前北京を訪れて印象の良かった中国に行って見ることにした。

時期

1996年12月20日〜1997年1月3日。当時私は29歳。

覚えていること

  • ほぼ何も覚えていないが、インドのような刺激的な旅ではなかった。日本人旅行者とも全く会わなかった。
  • 外国人として周りからジロジロ見られたり、気を使ってもらったりすることが全くなかったのは初めてのことだった。中国語が喋れなくても全く外国人と思われないのが不思議だった。旅行中はすべて筆談で事足りた。
  • 温州で現地の民宿みたいなところに格安で泊めてもらうことになったが、部屋に入ってから外国人であることがわかり、外国人向けの営業許可がないから泊められないと謝られた。なんていうか、普通に日本人同士なんかと同じ感覚でコミュニケートできることがわかる。
  • 不思議なぐらい何を食べたか覚えていない。まずかったこともないのだが、取り立てて美味しくもなかったんだと思う。(中国南方の食事は僕の好みじゃないのかも。)
  • 厦門はなんだか暑く、埃っぽい都市だった。
  • 2回めの中国はこんなものだったが、2000年の秋から仕事で頻繁に北京や上海などを訪れるようになり、どんどん中国への印象が良くなっていった。
1:中華人民共和国 上海
2:中華人民共和国 浙江省 寧波市
3:中華人民共和国 浙江省 温州市
4:中華人民共和国 福建省 福州市
5:中華人民共和国 福建省 廈門市
6:中華人民共和国 上海

2012年8月8日水曜日

シベリア鉄道の旅(1990/7-8)

記憶の断片

テーマ

ほぼ記憶の彼方にあった旧ソビエト連邦の旅を思い出してみる。シベリア鉄道で一緒だった日本人とか誰かに見てもらえることはほぼないだろうが。

時期

1990年7月下旬〜1990年8月中旬。当時私は23歳。

覚えていること

  • それまでアメリカしか行ったことがなかったが、初めてついたアジアの街は北京だった。空港を出て市内に出るタクシーの中で白樺林を見ながら妙に親近感を覚えた。直感的にこの街に自分は何か縁があると思った。予想は的中して2004年から北京駐在になったわけだが。
  • シベリア鉄道(北京〜モンゴルのルート)の食堂車は中国、モンゴルではご当地の食にありつけて悪くなかったのだが、ソビエトに入ると毎日ボルシチと酸っぱいパンばかりでいい加減いやになった。
  • 当時のソ連は末期の時代で激しいインフレと物不足でどこの街に行っても買い物のために市民が行列をなしていた。
  • たしかヤロスラブリでだったと思うが、街で行列に出くわしてロシア人に紛れて買ったヨーグルトと牛乳の中間の飲み物はうまかった。ちょっと舌がしびれる感じで絶妙だった。暑い国では飲むのはヤバそうだが。
  • 外国人は特別な通貨を使うために激しく物価が安かった。また、外国人が泊まるホテルにはなぜかモノがあふれていて、たらふく食べてウォッカを飲んでも150円ぐらいしかかからなかった記憶がある。
  • ロシア人には英語は通じなかった。モスクワでブルース好きの青年と話をした記憶がある。
  • サンクトペテルブルクではエルミタージュ美術館を見た。ピカソの絵を独り占めしたり、すごく贅沢な空間だった。でも、なぜか道路には信号がなく、道路を渡るのは命がけだった。(2004-2008年に住んでいた中国よりもはるかに危険だった。)

1:中華人民共和国 北京 朝陽区
2:モンゴル ウランバートル
3:ロシア イルクーツク
4:ロシア クラスノヤルスク地方 クラスノヤルスク
5:ロシア ケメロヴォ ノボクズネツク
6:ロシア ノヴォシビルスク ノボシビルスク
7:ロシア キーロフ ヤロスラブリ
8:ロシア モスクワ
9:ロシア サンクトペテルブルク
A:イギリス ロンドン