2012年6月10日日曜日

100分de名著「変身(カフカ)」を見た

NHKのテレビ番組でフランツカフカ著「変身」を観たのでメモ。

1912年にプラハで執筆された短編小説(日本語でも約110頁)である。番組ではカフカの人物像や当時の出来事を明確にすることで、なぜこの不思議な小説が名著となったのかを明かしていく。
カフカは小説家として暮らしていたのではなく、大都会に住む裕福なサラリーマンであり、仕事の傍ら小説を書いていた。趣味と言うにはかなり本格的だが、晩年病気をするまでずっとそのスタイルを続けていた。しかし、小説の内容はどれも夢も希望もなく、ひたすら現状から逃げたいとか自分の欲することが永遠に実現されないといった所謂「絕望モノ」ばかりであった。もちろんハッピーエンドでもない。しかも、リアリズムな表現ではなく、荒唐無稽なあり得ないような設定で物語を構成する。
番組では結局カフカは全く希望のない完全な絕望を描くことで、読者の共感を誘ってきたのであり、自分の持つ弱さを理解することで普通の人には気がつかないようなことも気がつくことができるのだというようなことを結論づける。
私なりの観点で書く。現在の日本は戦後の好景気を支えた世代も既に引退し、経済、社会ともに混迷を極めており、自分がどうなっていくのか見えない漠然とした不安を抱えた時代である。このような時代にはいったいどのようなストーリーが有効なのだろうか。
1.現実逃避、日和見主義型のイージーなハッピーな世界
2.仮想現実や仮想組織の世界に身を委ね、現実とは別のその檻の中に住まう世界
3.戦後日本人のように燃える意思を持ち世界に立ち向かう世界
だいたいの場合はこのいずれかのように考える。しかし、カフカの場合には新しい価値観を提供しているように思われる。ある意味でチープなトリックに見えてしまうぐらいの迷いや絕望の世界を作ることで、自分の持つ人間性をありのままに再認識させているのである。私の経験でいうとインドの放浪旅というのと似ている。


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