ラベル 旅行地図 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 旅行地図 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年8月15日水曜日

アメリカ出張(1996/08-09)

記憶の断片

テーマ

はじめての海外出張でカリフォルニアに行った。アメリカ本土訪問は4度めだった。

時期

1996年8月15日頃〜9月5日頃。当時私は29歳。

覚えていること

  • 夏休みの帰省中いきなり当時の部長が実家に電話してきて「夏休み明けからシリコンバレーに研修に行ってもらう。」と連絡があった。目的はデータウェアハウス用のDBMS製品の研修に出て技術を習得し、日本で評価すること。
  • 私はデータウェアハウスについて全く知識がなかったので行きの飛行機の中で資料を読んでいる状態だった。「こんな状態でしかも英語の研修なんてわかるはずないのに、、」と思っていた。
  • 同行したのは、入社当時からの関西弁の上司と別部署の先輩の二人。関西弁の上司には滞在中に相当振り回された。というか、時差ボケに付き合わされて真夜中にテープレコーダー片手に研修内容の復習会をするのは正直やめて欲しかった。しかも、結局「昼間聞いてわからんことは夜聞いてもわからん!」とのことで、夜中にさみしがりやの上司の付き合いをしているだけであった。(この製品は評判が良くてその後にけっこう本格的なビジネスになったが。。)
  • 研修先の会社があったのは、ロスガトスという住宅地で、ロスガトスロッジというホテルに滞在した。研修先の赤レンガの建物までは毎朝徒歩で移動した。
  • 英語での研修は、約2週間ちょっと続いた。最初の2日ぐらいは営業向けのトレーニングで、とても早口の英語でついていけなかった。ただし、後半は技術者向けのトレーニングで英語がわからなくても、やっていることはあまり難しくなかった。(一番わからなかったのは、マシン実習の際に口頭で伝えられたアカウント名とパスワードだった。これを英語で尋ねるのが一苦労だった。情けない。)研修にはアメリカ東海岸やメキシコ、ヨーロッパなどいろいろな国の人が参加していたが、技術系の人は国籍に関係なく同じような内気な雰囲気を持っていることが印象的だった。
  • 研修会場には常時コーヒー、パン、クッキーなどがあり、いつでもつまんでも良いというのがとてもアメリカ的でカリフォルニア的だった。
  • 研修の合間に会社の研究所に立ち寄って同期の友達に会ったり、スタンフォード大学に行ったりして少し楽しいこともあった。
  • 小学校の時に訪問したロスアンゼルスの友達の家に電話してみたらお母さんが出て友達はサンディエゴの海軍で働いているとのことで、週末にサンディエゴに飛んだ。野球を見に行って、駐車場でバーベキューをした。さらに友達が仕事をしている時間帯に国境を超えてメキシコのティファナに数時間行ってみた。ティファナは物騒な雰囲気で、裏道を歩いていたら私の前にいた青年がいきなり若者二人にハガイジメにされた財布を抜かれていた。この時はさすがに驚いた。ティファナはアメリカの若者がハメを外しに行く場所(メキシコは20歳から酒が飲めるが、アメリカは21歳からという理由で)で観光するようなところではないと知ったのは後のことだった。
  • そういえば、タイガー・ウッズという天才ゴルファーがもうすぐプロデビューするとのことで話題になっていたのを思い出した。ドジャースにいた野茂投手も当時はホットな話題だった。
1:アメリカ合衆国 〒95030 カリフォルニア ロス・ガトス ロス・ガトス=サラトガ・ロード 50
2:アメリカ合衆国 カリフォルニア サンディエゴ
3:メキシコ バハ・カリフォルニア ティフアナ
4:アメリカ合衆国 〒95030 カリフォルニア ロス・ガトス ロス・ガトス=サラトガ・ロード 50

2012年8月14日火曜日

カリフォルニアの夏休み(1978/07-08)

記憶の断片

テーマ

小学3年生ごろアメリカから一人転校してきた。近所に住んでいたこともあり仲が良くなったが、その後けっこうすぐに帰国してしまった。5年生の時に夏休みの40日間ずっとアメリカにいた。

時期

1978年7月20日頃〜1978年8月30日頃。当時私は11歳。

覚えていること

  • 初めての海外で見るもの聞くこと全てが目新しいことばかりで、カリフォルニアのスカッとした気候は喘息持ちの私にもすぐに慣れることができた。気候的には私がこれまで体験した中で、カリフォルニアが1位、大連が2位だ。
  • 友達の家にいるときはほぼ毎日レドンドビーチで泳いでいた。毎日飽きもせず海で泳いだり、カニをつかまえたり、とにかく楽しかった。
  • 当時まだ日本で上映する前だった(かな?)スターウォーズをドライブインシアターで見て感激した。友達に通訳してもらっていたが、英語なんてわからなくても十分に楽しめた。
  • アメリカ特有のゴムのような菓子やはじけるキャンディーなどもの珍しいかったが、これが食べ物??という違和感の方が強かった。
  • YMCAのキャンプに4〜5日ぐらい参加したが、東洋人は僕達だけでまわりの子供達やリーダーから珍しがられた記憶がある。
  • 旅の途中で家族と合流してラスベガス・グランドキャニオンに行った。グランドキャニオンに行くときのセスナが怖かったこと!
  • なんかサンフランシスコで金門橋を見た記憶もある。フィッシャーマンズワーフで食事した。
  • ロサンゼルス在住の友達とはその後私が社会人になって1996年にサンディエゴで再開をはたした。お調子者の山下くん元気にしてるかな。

1:アメリカ合衆国 カリフォルニア ロサンゼルス
2:アメリカ合衆国 ネバダ ラスベガス
3:アメリカ合衆国 〒86023 アリゾナ Grand Canyon,, Village Loop Rd, Grand Canyon
National Park, グランド・キャニオン国立公園
4:アメリカ合衆国 カリフォルニア ロサンゼルス
5:アメリカ合衆国 ハワイ ホノルル

2012年8月12日日曜日

中国東南部の旅(1996/12-1997/01)

記憶の断片

テーマ

96年の年末にひょんなことから(当時の部長の命令で)2週間も休みを取らされた。急だったので、以前北京を訪れて印象の良かった中国に行って見ることにした。

時期

1996年12月20日〜1997年1月3日。当時私は29歳。

覚えていること

  • ほぼ何も覚えていないが、インドのような刺激的な旅ではなかった。日本人旅行者とも全く会わなかった。
  • 外国人として周りからジロジロ見られたり、気を使ってもらったりすることが全くなかったのは初めてのことだった。中国語が喋れなくても全く外国人と思われないのが不思議だった。旅行中はすべて筆談で事足りた。
  • 温州で現地の民宿みたいなところに格安で泊めてもらうことになったが、部屋に入ってから外国人であることがわかり、外国人向けの営業許可がないから泊められないと謝られた。なんていうか、普通に日本人同士なんかと同じ感覚でコミュニケートできることがわかる。
  • 不思議なぐらい何を食べたか覚えていない。まずかったこともないのだが、取り立てて美味しくもなかったんだと思う。(中国南方の食事は僕の好みじゃないのかも。)
  • 厦門はなんだか暑く、埃っぽい都市だった。
  • 2回めの中国はこんなものだったが、2000年の秋から仕事で頻繁に北京や上海などを訪れるようになり、どんどん中国への印象が良くなっていった。
1:中華人民共和国 上海
2:中華人民共和国 浙江省 寧波市
3:中華人民共和国 浙江省 温州市
4:中華人民共和国 福建省 福州市
5:中華人民共和国 福建省 廈門市
6:中華人民共和国 上海

2012年8月8日水曜日

シベリア鉄道の旅(1990/7-8)

記憶の断片

テーマ

ほぼ記憶の彼方にあった旧ソビエト連邦の旅を思い出してみる。シベリア鉄道で一緒だった日本人とか誰かに見てもらえることはほぼないだろうが。

時期

1990年7月下旬〜1990年8月中旬。当時私は23歳。

覚えていること

  • それまでアメリカしか行ったことがなかったが、初めてついたアジアの街は北京だった。空港を出て市内に出るタクシーの中で白樺林を見ながら妙に親近感を覚えた。直感的にこの街に自分は何か縁があると思った。予想は的中して2004年から北京駐在になったわけだが。
  • シベリア鉄道(北京〜モンゴルのルート)の食堂車は中国、モンゴルではご当地の食にありつけて悪くなかったのだが、ソビエトに入ると毎日ボルシチと酸っぱいパンばかりでいい加減いやになった。
  • 当時のソ連は末期の時代で激しいインフレと物不足でどこの街に行っても買い物のために市民が行列をなしていた。
  • たしかヤロスラブリでだったと思うが、街で行列に出くわしてロシア人に紛れて買ったヨーグルトと牛乳の中間の飲み物はうまかった。ちょっと舌がしびれる感じで絶妙だった。暑い国では飲むのはヤバそうだが。
  • 外国人は特別な通貨を使うために激しく物価が安かった。また、外国人が泊まるホテルにはなぜかモノがあふれていて、たらふく食べてウォッカを飲んでも150円ぐらいしかかからなかった記憶がある。
  • ロシア人には英語は通じなかった。モスクワでブルース好きの青年と話をした記憶がある。
  • サンクトペテルブルクではエルミタージュ美術館を見た。ピカソの絵を独り占めしたり、すごく贅沢な空間だった。でも、なぜか道路には信号がなく、道路を渡るのは命がけだった。(2004-2008年に住んでいた中国よりもはるかに危険だった。)

1:中華人民共和国 北京 朝陽区
2:モンゴル ウランバートル
3:ロシア イルクーツク
4:ロシア クラスノヤルスク地方 クラスノヤルスク
5:ロシア ケメロヴォ ノボクズネツク
6:ロシア ノヴォシビルスク ノボシビルスク
7:ロシア キーロフ ヤロスラブリ
8:ロシア モスクワ
9:ロシア サンクトペテルブルク
A:イギリス ロンドン

2012年7月10日火曜日

インド一周(1990/12/初旬-1991/2/中旬)

記憶の断片

テーマ

私は物忘れの激しい家系でもあるし、歳も歳なので昔のことは加速的に忘れていく。忘れる前に覚えていることを少しメモする。人さまに見せることではないかもしれないが、ひょんなことから興味を持つ人が将来出てくるかもしれないのでここに書く。
今回は昔行ったインド一周旅行(ネパール含む)のルートを書く。

時期

1990年12月初旬〜1991年2月中旬の約2ヶ月半。当時私は23歳。

ルート(時計と逆周りルート)

ニューデリー:エアインディアで夜中に着いて明くる朝起きたら道端に牛がいた。
→アーグラー:ジョンレノンが亡くなってちょうど10年だった。ニューデリーから乗った電車で強引に荷物を盗まれかけた記憶がある。
→ジャイプル:猛烈な下痢に襲われ駅のリタイアリングルームで3日ほど寝ていた。となりのインド人にタオルを盗まれてなぜか激怒した。
→ウダイプル:のんびりしていた記憶あり。
→ボンベイ:バックマージン目当てのホテルの客引きに激怒した。乞食多し。後ろから近づいてくる人は信用しないが、前からやってくる人を無条件に信じることにした。
→ゴア:90年のクリスマスは(アンジュナ?カラングート?)ビーチでパーティーに参加。これが後にゴアトランスと呼ばれていたとはつゆ知らず。アッパー系の音楽で異様な踊りをする西洋人に圧倒された。
→パナジ:運悪くキリスト教の街のクリスマス期間のためホテルもリタイアリングルームも見つからず街で声をかけられたインド人の民家に宿泊。ぼられた。日本人の一人旅の青年と同行。
→マンガロール:同じく日本人青年の同行して1泊。何もない街だから久しぶりにちゃんと眠れた。
→コチン?:違ったかな?怪しい。ケーララ州だったような。
→カニャークマリ:91年の初日の出を拝む。日本人多し。初日の出ツアーらしき日本人の団体はちょっと異様だった。ニューエイジ系だったかな。
→(トリバンドラム)コーバラムビーチ:なにか楽しかった記憶がある。こじんまりしたキレイなビーチでインド人たちがいなくて、日本人の若者や中年のカップルなど感じのよい人たちとの出会いがあった。なぜか帰国後すぐに梅田のレコード屋でばったりあった人もいたなぁ。そういえば南インドでは同じパターンで移動している日本人が多かった気がする。そうだ。日本から持っていった村上龍の「海の向こうで戦争が始まる」を読んでいたが、まさに湾岸戦争開始かその直前だったので感慨深かった記憶がある。
→マドライ:南インドの仏教寺院はインパクトがあった。
→マドラス:南インドのカレーは美味しかった。
→カルカッタ:マドラスからの列車は2泊3日だった。ボロボロになってサダルストリートにたどり着いた。蔵前仁一の本の世界が本当にそこにあった。大衆食堂で食べる普通の料理が美味しいことに気がついた。これが最大の収穫か。
→ダージリン:チベット文化というかチベット料理うまし。急激な気候の変化に耐えられず、けっこうきつい喘息にかかった。一人でホテルでいるだけでもつらかった。
→ネパール国境の町:地名はなんだったっけ。たしかダージリンかシリグリからネパールのカトマンズまでの通しのバスチケットを買って、途中一泊が国境の街の最悪に汚いホテルだった。部屋に入ってあまりの汚さに驚き、蚊取り線香をつけたら狭い部屋の床に層になるぐらい(おそらく数百匹の)蚊が死んでもっと驚いた。汚すぎて眠れなかったのは後にも先にもこのホテルぐらい。サダルの安宿が高級ホテルに見えるレベル。
→カトマンズ:インド人不信からの開放の地。緊張感が途切れて逆に散財するぐらい。ボーダナートに自転車で行った。なぜか日本人の女性と一緒だったけど、女性とは縁がないはずなのに誰だったっけ?ネパールのダルバーツもうまかった。
→ポカラ:景色最高。気候最高。ヒマラヤを見ながらジャーマンベーカリーでクロワッサンを食べた。神を信じたことはないが、ヒマラヤにはなにか絶対的な存在を認めざるを得ない迫力となにかに守られているような安らぎを感じた。その後の人生でもポカラ以外でそういう体験はない。
→ヴァラナシ:一気にインドの喧騒の真っ只中にダイビング。客引き、野良動物、極悪インド人、普通のインド人、観光インド人、外国人、とにかく人だらけ生物だらけ。ガンガーには死体もあるし、一種の修行のような街とも言えた。でも、意外と楽しめた。ネパールで骨休めをしていたからか、旅の終盤だからかわからないけど、少し客観的に楽しんでいた気がする。バングラッシーを飲んでも効き目なしだった。相性の問題か。
→ニューデリー:ふりだしの街。オールドデリーに行ってスパイスを買った。帰国前にルピーをすべて使い果たしたのに、飛行機が突然キャンセルされ急遽ホテルを延泊したが、お金がなくてボールペンと小型電卓を売りに行った。なぜか私は機嫌が悪く、メインバザールにあるホテルの屋上から下に向かって人参を投げていた。なんで怒ってたんだろうか。たぶん最後にやっぱり悪徳インド人にだまされたんだろうな。でも、人参はどこで入手したんだろう。謎だ。

1:インド デリー ニューデリー
2:インド ウッタル・プラデーシュ アーグラ
3:インド ラージャスターン ジャイプル
4:インド ラージャスターン ウダイプル
5:インド マハーラーシュトラ ムンバイ
6:インド マハーラーシュトラ ムンバイ
7:インド ゴア
8:インド ゴア パナジ
9:インド カルナータカ マンガロール
A:インド ケーララ コーチン
B:インド タミル・ナードゥ カンニヤークマリ
C:インド ケーララ ティルヴァナンタプラム
D:インド  タミル・ナードゥ マドゥライ
E:インド タミル・ナードゥ チェンナイ
F:インド 西ベンガル コルカタ
G:インド 西ベンガル ダージリン
H:ネパール  カトマンズ
I:ネパール  ポカラ
J:インド ウッタル・プラデーシュ ワーラーナシー
K:インド デリー ニューデリー